1980年代のバブル期のファッション

1980年代のファッション

 

前回お伝えしたように、
カラフルなボディコンはじめ、
かなり活気あふれるファッションが広がりました

  

竹の子族

 

1980年代前半
原宿の代々木公園横に設けられた歩行者天国で
ラジカセを囲みディスコサウンドにあわせて
ステップダンスを踊る若者たちのことを
「竹の子族」と呼ばれました

 

ファッションは原色・サテン・無地の
ダボダボして動きやすい派手な衣装
そして、男女問わず鮮やかなメイク

 
それは社会現象としても大きく取り上げられました

 

DCブランド

1970年代から始まり、1980年代中盤頃に本格化したDCブランド

DCとはDesigner’s & Character’sの略で
日本の衣服のデザイナーズブランドと
キャラクターズブランドの総称をいいます

 

デザイナーズブランドとはデザイナーが
ブランドのイメージづくりから
商品の企画、制作、生産まで主導的な立場で関りました

  
代表的なのは、高田賢三の「KENZO」、三宅一生の「イッセイ・ミヤケ」

フォークロア風のピンクハウス、ヨーロピアンテイストのニコル、
サブカルチャーの影響を強く受けたタケオキクチ、
コムサ・デ・モードなどが人気のブランド
 

特に、川久保玲の「コム・デ・ギャルソン」、
山本耀司の「ヨウジ・ヤマモト」は、世界に衝撃を与えました

  

渋カジ

1980年代中盤〜’90年代初頭

ストリートファッションの「渋カジ」が流行しました

  


DCブランドに飽きた都内の有名私立高校の生徒たちが、
仲間内でお揃いのチームジャンパーを着て、
徒党(チーム)を組んだのが始まりと言われ
拠点が渋谷センター街だったため、
渋谷カジュアル=渋カジと呼ばれるようになりました 
  

当初は都内の特権的なコミュニティの産物だった渋カジは、
’89年頃から若者情報誌やファッション誌で紹介されるようになり、
全国的な流行に発展
  

渋谷の高校生から発信された渋カジは
ポロシャツ、ローファー、ジーンズといったシンプルなものですが
渋カジの特徴であった「紺ブレ」(紺のブレザーの略)
という言葉も同時に普及しました

 

ちなみに、紺ブレは、
渋谷区、港区、世田谷区などの首都圏の私立男子高生の
ブレザーが発祥と言われる渋カジの定番ファッションで
ダブルの金ボタンが特徴的

    
そして、ジーンズやポロシャツ、Tシャツなどに
紺のブレザーを合わせることで、
キレイなカジュアル「キレカジ」というファッションになりました

  
紺ブレは男女を問わず若者の支持を受け、
ジーンズだけでなくショートパンツやプリントワンピースなどと
組み合わせたりと、ファッションバリエーションがありました
  

ボディコン

DCブランドから、さらにシルエットをシェイプしたスタイルの
ボディコンファッションが生まれました

 

ボディコンとはボディ・コンシャス(body-conscious)の略語で、
体に密着する素材を使い、体の線(ボディ・ライン)を強調した服

ボディコンと合わせて「ワンレン」と呼ばれるワンレングス
(段の入っていない全部同じ長さ)の髪型も流行り、
ワンレン・ボディコンがいい女の象徴・・・
みたいな感じでした

  
元々は女性の自己主張、解放を目指すファッションの動きの
一つでもありましたが、日本では主に遊び着として広まり、
特に1980年代のバブル期以降にブームとなりました

  
ボディコン・スーツを身にまとった女性たちが急増し、
「ジュリアナ東京」といったディスコのお立ち台で
ボディコン姿で踊る女性が、印象的でした